語り部 しずく






       岐阜・長良川に伝わるおはなし、地名の由来を
        掘り起こしてシンセサイザーで歌い語り踊る平成の語り部


中将姫誓願桜物語

中将姫誓願桜物語

岐阜市大洞に願成寺の境内の中にある天然記念物『中将姫誓願桜』の物語


中将姫は生来、輝くばかりの美貌と才能に恵まれ、9才の時には孝謙天皇の前に召されて、並み居る百官の前で琴を弾いて、褒美として玉の簪を賜わった。

姫が成長するに従い、和歌や音楽の才能はますます人々の目を見張らせるようになり、15才の時には三位中将の位までいただいた。


ところが継母の照日前は、こうした姫を次第に憎むようになり、ついには殺そうとまで計った。

しかし、姫はその身の上に同情した一人の家来によって危うく難を逃れた。

更に執拗に迫る追っ手から逃れるために、あちらこちらをさまよい歩いた。


この時、姫は風の便りに、美濃の国大洞の里の願成寺の噂を耳にした。

姫はその参詣を思い立って、はるばるこの地を訪れた。


ところが、長い旅の疲れと折からの冷え込みのために婦人病にかかって苦しみ、この寺の観音様に救いを求め、一心に祈った。

すると不思議なことに、病気はたちまち快癒してしまった。

姫は大層喜び、境内に一本の桜を植えて、真心を込めて祈った。

『桜よ、お前は私に代わって、いつまでもこの観音様をお守りしておくれ。

そしてそのご威徳を美しい花で末永く飾っておくれ。』


観音様に向かい、

『観世音菩薩様、私は今度の病気で、女の身には女しか分からない様々な苦しみがあることを知りました。どうか菩薩のお力で、この桜の花や枝葉を大切に保持する婦人には、あらゆる女性特有の災厄から守り、

安産に、育児に、良縁に、夫婦の生活に、
女の幸せをいっぱい与えてやって下さい。』

このようにして姫は、90日もの長い間、一心に祈り続けた。


長い祈りを終えると、姫は大和の当麻寺で織ったのと同じ蓮糸の曼陀羅を一幅織り上げ、それを当山に納めた。


この曼陀羅はその後長く寺の宝物として大切にされていたが、寛正三年に、尾張国飛保(愛知県江南市)の円福寺に飛んでいった。

円福寺では、東の空から日輪が出ると同時に曼陀羅が飛んできたというので、日輪山曼陀羅寺と称号を改めた。

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